星の見えるスケッチブックの露天風呂
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私、小さい頃、従兄弟達に混じって、夏休みには、泊りがけで色んな所に連れってもらいました。
従兄弟達の一員、兄弟のようにして貰ったと言うのでしょうか?
伯父・伯母も又、母の妹夫婦叔父・叔母にも面倒を見てもらったようです。
一人っ子だったにもかかわらず。
友達に「あれッ、兄弟いないの、お姉さんも妹も?」
私「そうだよ、一人っ子だよ」
友「そうな風には見えないけど?」

振り返ってみると、結構我儘な人生も送っていましたが。
特に学生時代、山、に入ってばかりと言うか、入り浸りの生活。
「どこの大学?」と聞かれても 「アルプス大学!?!」と惚け面。
大学で学んだ事より、山で学んだことの方が多いくらいだったのでしょうか?

このあいだ、NHKで文豪の「氷壁」を現代版でリメイクしドラマやってましたよね。
あのドラマに出てくる山男、格好よかったなー
でも、私には嘘っぽく見え、ブッタマゲソウ。
嘘っぽいんで見るの止めましたが。
ドラマだから良いよ、「格好付けたって良いじゃない」
私は嘘や誇張は嫌なので‥‥‥
台本のないテレビ番組はないと言われる人がいますが。
新聞にしても発信者の筋書きが見えすぎて、見苦しい。
ニュースまでが、同じ切り口に明け暮れ、能がない。
もっと別に視点で考えられては?
話しそれたの戻します。
私の知っている山男にあんなにカッコウイイノのいなかったですよ。

八ケ岳の小屋にいた時、「俺ッ、もう一週間ぐらい風呂に入ってないよ。」
「何、言ってんだ、俺なんて、風呂に、半月以上入ってないぞ」自慢げに別のバイト仲間に、言い返されている時。
横から、別の山男仲間が横から顔を出し、のそっと一言 「俺っ、二ヶ月!!!」
とニヤリと笑い。
あの世界、汚いのを自慢話にするぐらいですから。

どうやら、お風呂の禁断症状、一週間我慢をすると平気になるようでした。
勿論、今はそんなことありませんが。

小さい頃伯母に、尻をひっぱたかれんばかりに、「早く、お風呂に入り」でした。
お風呂に入るの嫌じゃなかったのですが、むしろキレイ好きなくらい。
子供と言うのはお風呂好きじゃないのが多いですよ。
特に熱い風呂は、みな苦手。
熱いお風呂は子供の心臓に負担がかかるのではないでしょうか?

楽しみは、石鹸を泡立てて、従兄弟達とふざけあうのが、第一だったのですよね。
時に温泉につれてってもらった時は少々楽しみが半減する事がありました。
温泉のお湯にはあまり泡が立たないことが多かった記憶があるのですが。

あれは68年の連休明けだったとの思い出があるのです。
その前年67年にバイトに入っていた立山・劔に入ったのです。
連休明けの頃の山、私としては、珍しく相方のいる山登り。
その相方の実力で劔の山頂を目指すには、無理がありました。
おまけに、二日間の吹雪。
仕方なく、雷鳥沢の下の小屋で、沈殿。
三日目のお昼から晴れ、上のコルの山小屋付近に眼を向けました。
真っ白なコルのところに、劔沢方面からでしょうか稜線から上に白いものが見えたのですが。
「あれッ、雪煙じゃない?」
「違うよ、雲だよ」と言い、劔沢の小屋くらいまでを目指し、強行。

しかし稜線近くまで登ると、私の判断ミス判明。雪煙でした。
モウモウと上がる雪煙を避け雷鳥沢よりのコースを取り、小屋の直下で小屋をめがけ、逃げ込み。
乗越の小屋の夫妻が「こんな吹雪の中、登って来る奴らがいると思っていたら、お前か、相変わらず無茶な奴だ」と多少呆れていた様子。

この小屋のオヤジさん説教好きで、遭難しかかった無茶な登山者を相手に、よく叱り付けていました。
67年の6月頃だった記憶があるのですが、ぼっかで雷鳥沢の横のグラードを登っていました。
おり悪く小雨。仕方なく上半身裸になり、シャツも上着もビニールで包んで荷物にしまい込み、乗越の小屋に到着。
そこでオヤジさん「立山の方に行った所で一人疲労で、動けネー奴いるそうだ、お前、行ってやってくれ」と上半身裸で登ってきた私に呆れ顔で言われました。
担いで小屋につれて来た、私と同じ年頃のアンちゃん、紫色の顔をしてガタガタ振るえ全くの無言。
オヤジさんしっかり、紫色のアンちゃんの体を裸にして、ごしごしと暖めていました。
体がいくらか温まり、震えながらでも口が効ける頃になり、これで、安心との様子になったアンちゃんに「お前、疲労凍死寸前だったのだぞ」と叱りつけてました
こんなガリガリの体で山に登ってくるな、もっと体鍛えてから来い。
。まずい事に私は裸で、濡れたシャツと上着をビニール包んで仕舞い込んでいた。ぼっかの荷物から入れていた上着とシャツを出し、ストーブで軽く乾かしていました。
アンちゃんと同程度の体つき。違うのは私にの肩にあるぼっかダコと、奇妙にバランス悪く付いた足の異常な筋肉。
乗越の小屋のオヤジさん、私のことを指差し言った言葉は「それ何?」です。
危うく疲労凍死寸前だった、アンチャに「こんなサルみたいな奴と、お前らは違うのだから、」
乾かし終わったシャツと上着をは実に暖かな物でした。
そんな馬鹿をやってた前の年をことを知っておられた、オヤジさんは勝手にしろだったのでしょう。
雪煙の中、小屋に入った夜の部屋の中では、勝手に押し入れ方一杯布団を出し着込んだ、二人だけの夜ではあったが、暖かだった。

この山行を終え、二人は富山から松本に列車で出ました。
私は真夜中、東京に帰る相方が列車のデッキにたつのを見送り、いや、見送られ、松本駅でステーションビバーク。
一番で、上高地に入り、明神の小屋泊まり。
嘉門次小屋のAさんとかなり遅い時間まで話しこみ、風呂に入らず。
あくる朝、Aさんに「重太郎新道を登るより、明神と前穂のコル攻めたほうが楽だぞ」煽てられ、コルを目指し、登りました。
キックステップだけの連続で登っていた私は、前穂の手前で滑落。
危うく、涸沢に落ちるところ。その後はピッケルでバケツみたいなステップきり、奥穂まで。
奥穂の頂上で、持っていたシャルレーモンブランに感謝の祈り。

懐かしの奥穂の小屋で泊めてもらい。
後は槍を目指し縦走。欲をかき大天井から常念へ。
その間考えていたのは「嘉門次小屋で、真水のお風呂に入れて貰うのだ、真水のお風呂に」
「嘉門次小屋に辿り着けば、真水のお風呂に入れてもらえる」
縦走の間中、「お風呂に入りたい」と、かなりの時間呟いていました。
お風呂禁断症状のまま、何日くらいでしょうか?経って、念願の嘉門次小屋で真水のお風呂。
石鹸を思い切り泡立て、三回くらい顔を洗ったのですが、それでも日焼けプラス垢だらけの顔面からは、ポロポロ、黒いものが落ちていました。
何度も洗っているうちに、どうやら顔の垢はなくなりました。
大方の温泉の湯では、これ程、気持ち良く、顔を洗えなかったでしょう。
だから、真水のお風呂なのです。


ヤッパーお風呂は真水でよ。
最高!!!


内のペンションの浴槽のお湯、どうも温泉ぽい湯質のようで、私は昔年の思いでも重なり、抵抗を感じる時があります。
上がり湯は真水のシャワーにしてもらって良かった、スケッチブックの露天風呂